本棚の目立たない片隅から

    ちょっと印象に残る本や雑誌の一節を紹介しようというコーナーです。電車での移動時間に目をとおしたり、本好きの知り合いに教えてもらったりしたものです。仕事の合間やおしまいに、ほっと一息ついていただければと思います

    身の震えるような「お年玉」

     毎週木曜日、日経新聞のスポーツ欄に「チェンジアップ」というコラムが掲載されます。豊田泰光さんという戦後西鉄ライオンズでショートのレギュラーを獲得し、強打の2番打者として西鉄の黄金時代の一翼を支えた名選手だそうです。
     豊田さんのコラムがわたしは大好きで、木曜日の朝をいつも楽しみにしています。プロ野球のエピソードを通じて、ときに話の展開やコメントが世の中の組織一般や現場第一線での経営実務、さらには「人の機微」のようなところにまで及ぶこともよくあります。短く簡潔な文体。平易なことばで、明瞭に考えを構築していく文章スタイルも魅力的です。ときどき読み返す日もあります。(以上は花木 以下が豊田さんの本文です 日経新聞H19.1.4(木))

     小さいころは家に余裕がなく、父の土建業の景気がよくなったと思ったら戦争ということで、お年玉をもらった記憶がない。あのころもらっていたら、どんなにうれしかっただろう。

     逆にお年玉をあげる大人にとって、今は困難な時代かもしれない。少ない子供の面倒を、何人もの大人がよってたかってみているものだから、お年玉といっても少々のことでは喜ばれない。 

     時期は正月ではなかったが、一度身の震えるようなお年玉をもらったことがある。
    プロに入ったころ、父が病に倒れ、弟妹合わせて6人の面倒をみるのにきゅうきゅうとしていた。ある遠征を前に、すっかりお金がなくなった。朝起きて、どうしたものかと思案しながら、ふと財布を見ると空だったはずのところに5千円ほど入っていた。
     世話になっていた料亭のおかみがさりげなく入れてくれたのだった。プロとしてそれなりの年俸をもらった時期もあるが、私自身お金に淡白だったせいか、ほとんど記憶にない。なのにあの5千円だけは忘れない。
     
     当時私は球団の寮を出て、福岡市内の料亭で寝泊りしていた。経営者夫妻がファンで、何より栄養がしっかりとれるのが、野球選手の居候先としておあつらえむきだった。そのおかみは私の腹の減り具合のみならず、懐具合も見通していた。
     ああいう気持ちのこもったお金に対するお返しは難しい。5千円戻しても、返したことにはならないような気がして、私は親しい会社の経営者らをせっせと連れて行き、常連客とした。 

     娘さんが継いだその店に、今でも通っており、もう五十年の付き合いになる。お孫さんに野球も教えた。すべてあの5千円の縁。大金ではなくても、心が通ったお金というのは千円でも2千円でも、ずっと記憶に残り、値打ちを失わないもののようだ。
    さて、今まで何年も子供や孫にお年玉をあげてきたが、どれだけ覚えてくれていることやら。私の締まりのない財布からこぼれ出る一方のお金だったから、その辺りは全く自信がない。(野球評論家)

    Uターンしない経営者

    飯塚 毅さん
    わたくしごとを申しあげて恐縮ですけれども、丸ビルでアメリカの大学を出て、博士号をもって、歯科医をやっている伯父がおりました。わたしが丸ビルの屋上へあがってみていると、東京駅を何万人という人が、出たり、入ったりしている。当時15、6才のわたしは、がっかりして伯父のところへやってきて、「伯父さん、僕は今日がっかりしちゃった」、「なんだ、どうしたんだ、お前」、「丸ビルの屋上から、東京駅で、ひとが出入りするのを見てたんだ。伯父さん、あれは、一日に何万人か、何十万人か、出入りしている。伯父さん、僕はやがて勉強して世の中へ出るんだけれども、あの人たちを抜こうと思ったら、僕は、普通のひとの何十倍かの、努力をしなくちゃ、あのひとたちを、抜けないことになるんだろうね」、といったことがある。そうしたら、伯父はカラカラと笑い出して、「そんなことあるもんか、お前、普通の人の何十倍なんて、そんな努力する必要は全然ないよ。簡単なんだよ」といわれた。「なんで、伯父さん簡単なんですか?」、「簡単だとも」伯父はこういいました。 伯父は、つまり、すべての仕事、すべての事業というものには、それがどんな仕事であっても、かならず泣きどころ、いわゆる壁があるというんです。その場合に、人は実は99.9%まではUターンするというのです。「お前は、Uターンしないほうの0.1%のなかに入っていればいいんだよ」といわれた。「それだけでいいんだよ。だから、なにも、東京駅のあれ、あの駅から、出たり入ったり何十万人、あんなのは皆、Uターンするほうなんだ。心配するな、心配するな。お前は99.9%のほうに入らずに、0.1%のほうに入れ」と。いかなる企画、いかなる経営だって、そこがポイントなんだと。わたしはこれを伯父からもらった生涯の教訓のつもりでおります。つまり、目標の貫徹力が旺盛であるというのは、それをいうのです。

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