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私共の経営理念は「自利利他」です。
自利利他とは、「自利とは利他をいう」ということで、自利即利他、即ち両者は同じものとなります。
何故でしょうか?
我々には二つの目があります、それ故あらゆる場合、物事が分割されます。二元思考となります。例えば、ある人はこれを自利と呼び、他のものを利他と呼びますが、それは人によってまちまちです。実際のところ、それらは一つのものです。自利は利他の最も少ない部分であり、利他は自利の最も少ない部分にすぎません。
人間には両眼の間に「第三の眼」があります。インドではシヴァの眼と呼ばれ、日本では仏眼と呼ばれます。
物事を第三の眼で見れる様になると、二元思考は消え、存在の一体性が見えはじめます。その時、自利と利他は別々のものではなく自利利他という一つのものになるのです。愛と憎しみも全く反対のものではなくなります。
「愛憎」は一つの言葉になります。
「苦楽」も一つの言葉です。
「美醜」も一つの言葉です。
「悲喜」も一つの言葉です。
「物心」も一つの言葉です。
「生死」も一つの言葉です。
「過去未来」も一つの言葉です。
過去は存在しません、ただ記憶にあるだけです。又、未来はまだ来ていません。想像しているだけです。
存在するのは現在だけ。
そこには、
昨日もなく
明日もなく
今日もない
この「今ここ」を常に「第三の眼」で見守りながら、生きていきましょう。
合掌
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TKC全国会の基本理念である「自利利他」について、TKC全国会創設者飯塚毅は次のように述べています。
大乗仏教の経論には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で私は「自利とは利他をいう」(最澄伝教大師伝)と解するのが最も正しいと信ずる。
仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している。
同様に「自利とは利他をいう」とは、「利他」のまっただ中で「自利」を覚知すること、すなわち「自利即利他」の意味である。他の説のごとく「自利と、利他と」といった並列の関係ではない。
そう解すれば自利の「自」は、単に想念としての自己を指すものではないことが分かるだろう。それは己の主体、すなわち主人公である。
また、利他の「他」もただ他者の意ではない。己の五体はもちろん、眼耳鼻舌身意の「意」さえ含む一切の客体をいう。
世のため人のため、つまり会計人なら、職員や関与先、社会のために精進努力の生活に徹すること、それがそのまま自利すなわち本当の自分の喜びであり幸福なのだ。
そのような心境に立ち至り、かかる本物の人物となって社会と大衆に奉仕することができれば、人は心からの生き甲斐を感じるはずである。
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