14回 社長とは「決定を下す人」である

 

 世はまさに低成長時代である。消費の世界も本当に欲しいものだけを吟味して買う「厳しい選別の時代」であり、企業の世界は「戦国時代」である。企業はこの激しい戦国に生き残らなければならない。そのためには絶えず前進し、止まることは許されないのだ。

 止まれば、たちまちのうちに製品は陳腐化し、販路は荒らされ、お得意先は奪われてゆく。絶え間ない『経営革新』と『未知の世界への挑戦』という積極経営のみが、会社を存続させ、発展させる道である。

 凡庸な経営者は、危険を理由にして革新を避けようとする。可能性はそれが革新的であればあるほど、危険も大きい。危険を伴わない決定など、会社の将来にたいした影響のない次元の低い決定である。

 革新的な決定は、危険だけではなく、同時に社内の抵抗や批判も多いのだ。部下が悲鳴をあげたり、尻込みするような決定でなければ、すぐれた決定とはいえない。決定はそれが次元の高くなるほど、下部の者の意見を取り入れることは避けなければならない。経営は民主主義ではない。民主主義をとったら、その会社は十中八九つぶれる。多数決は衆愚につながるからだ。

 すぐれた決定は、多数の人々の意見からでるのではなくて、すぐれた社長の頭から生まれるのだ。ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのであり、決定の大原則である。会社がつぶれたら、社長一人だけがすべての責任を負わなければならないのだ。何がどうなっていようと、その責任からのがれることはできないのだ。全責任を負うものが決定するのが当然である。それを幹部や社員の意見を聞き、決定をそれに任せるというのは社長としての責任の放棄であり、怠慢以外のなにものでもないことを知るべきである。

 たとえ社員の意見を聞くとしても、それは情報収集のための参考意見であり、最終的には社長一人で決定しなければならないのだ。それは三日三晩寝ることもできず、地を這うような苦しみを経験することもたびたびであるはずなのである。

 決定で最も積極性を要し、むずかしいのは「捨て去る」と「撤退」である。陳腐化した製品を捨て、魅力のうすれたサービスを捨て、新しい製品、サービスを投入する。残念ながら多くの会社でそれができていない。その製品の過去の栄光にしがみつき、捨て去る時期をズルズルと先延ばしにしているのだ。決定で大切なのはタイミングであり、「遅すぎる決定」よりは「早すぎる決定」のほうが被害は少なくてすむことが多いのである。

 たとえ、決定が間違っていたとしても、決定しないよりは勝っているのだ。早く動きだせば、間違いも早く発見でき、それを訂正する時間が残るからだ。いかにすぐれた決定でも、土壇場になってからでは、取り返しのつかないことになってしまうのである。躊躇逡巡こそ経営者の大敵であり、逡巡して何も決められない経営者は会社をつぶすのである。

 社長は、何年かに一度、おそらくこれからはもっとたびたび、重大な決定に迫られるであろう。それは右へ行くか左へ行くかで、社運が全く違ってしまうようなもので、それは「決定」ではなく「決断」なのである。ところが、その「決断」に必要な情報は不完全というより、どこまで信じてよいか分からぬものであり、不安定な状況の中での限られた時間のうちに下さなければならない「賭け」なのである。それは不気味な暗雲の中への、乗るか反るかの大勝負であり、このような試練を、これからの経営者は何回も乗りこえてゆかなければならないのである。

参考文献:一倉定の社長学「社長の条件」