第25回 社長の責任と社員の責任
会社がつぶれたら誰が責任を負うのか。それは、「社長ただ一人」である。このことは会社がつぶれたときによく分かる。
何がどうなっていようと、社会のあらゆる責任追及と批判は「社長ただ一人」が負わなければならない。その実証は、どんな大企業がつぶれたときでも社会の批判は常に社長ただ一人に集中していることを見れば分かるであろう。
そうであるならば、社長の責任は、結果に対する責任、つまり利益責任は社長ただ一人が負うものであり、決して社員に利益責任を負わしてはいけないということである。
その社長の重い責任がワンマン決定権となってあらわれるのである。責任のない者に決定権のあろうはずがないのだ。
事業経営はワンマン決定こそ正しい姿勢であり、これ以外にはない。例えばよくある“合議制”というものは、責任逃れを美化したもの以外の何ものでもないのである。責任者がはっきりしないからである。最悪の場合は「決定する」という社長の最も重要な仕事を社長に忘れさせ、非常に危険である。
社長の決断や決定は、すべて外部への対応であり、未来指向である。それは日常業務を重視する社員にとっては理解不能であり、社員に意見を求めても意味のないことが多いのである。意見を求めるのは社内よりもむしろ社外の人のほうが多いのだ。それどころか、重要なことほど社員に意見を求めるわけにはいかないのである。
また、会社の内部の事情を無視した決定をしなければならないことも起こる。事業経営とは外部に対する市場活動であり、内部事情を無視しても会社はつぶれないが、市場の変化への対応を誤ったなら、たちまち会社をつぶしてしまうからである。
このことを平素から社員に話をして理解させておかなければならない。これをやっておかないと、経営を知らない社員は「うちの社長は我々に相談をかけてくれない。ワンマン社長で困ったものだ」というような全くのトンチンカンな見解をもってしまうのである。
会社の中では、何がどうなっていようと、「結果に対する責任」はすべて社長だけがとらなければならない。社員の責任はあくまでも会社の方針、指令などの「実施責任」であって、追及されるのは不実施の責任だけなのである。
だから、事業部制、独立採算制、部門別利益責任制などの活用の仕方は、その多くが間違っているのだ。これらの本来の目的は、各事業部門のスクラップ&ビルドと会社の方針が守られているか、という二つのことを確認するためだけにあるのであって、部門長をつるし上げるためのものではないのだ。
ところが、多くの会社で、本来、社長だけの責任である利益責任を社員に負わせるという誤りが当然のことのように行われている。その結果、「社長の仕事は社員を管理すること」という誤った考えがはびこり、「社長自ら先頭に立って考え、行動し、決定する」ことが忘れ去られてしまったのである。
社員の考えや、行動に期待するのは大いに結構なことであるが、その前に、「利益をだすために、戦略を立て、決定し、指示をだす」のは利益責任を負った社長の重要な仕事であることを強く認識していただきたいのである。そして、会社の中で一番責任が重く、一番苦しいのは社長であることは当然なのである。
参考文献:一倉定の社長学「新・社長の姿勢」