第28回 「人材待望論」の誤りを知れ

 

 M社にお伺いした時に、真っ先に目に入ったのは、事務所の壁に貼ってある標語であった。いわく「一人一人が経営者」と。

 これは一見正論のように見えて、社長の陥りやすい大きな錯覚である。この考え方は社長の搾取思想の現れであり、そしてこれこそが低業績の原因なのである。社員の待遇しか与えておかずに、経営者の意識を要求する。これが搾取でなく何であろうか。このことは知らず知らずに社長自身が自らの社長業務に手を抜いていき、社長がやらなければならない仕事を、社員に押し付け、会社を倒産に至らせる危険をはらんでいるのである。

 世の中が不景気になると、偉い人の口から必ずといっていいほど出てくる言葉が人材育成である。つまり「人材待望論」である。

 多くの人が「不景気には人材」ということで「人材育成」を言う場合に、それは必ず社員であって、社長ではないのだ。この論理の誤りにも気がつかないという困った先生や社長が多すぎるのである。

 これを、ひねくれば、「社長どもはみなボンクラで、この不況を突破する力量など無いから、それを持っているあなたの会社の人材を登用して、この不況を突破させるべきだ」とこうなるのである。これほど社長を侮辱した言葉があるだろうか。こんなことにも気づかずに「企業は人なり」といって外部講師に我社の社員を教育させることの無意味さを知ってほしいのである。

 教育の必要性を感ずるような社員はいくら教育しても人材になる見込みなどないのだ。誰も教えてくれない、勉強したくても勉強の時間もない、そのような不利な環境の中で、寸暇を見つけて勉強し、失敗し、実践しながら、自らを高めてゆくのが本当の人材ではないのか。

 中小企業においては人材は教育でつくることはできず、優秀な人材がいたとしても、やがては会社を出てゆくのだ。だから会社の中には人材はいない。というのが社長としての正しい認識なのである。

 では、「一体どうしろというのか」ということになる。

 ところが、その人材候補者がどこの会社にも一人はいるのである。その一人とは、社長その人である。その会社の中ではその社長こそが人材になる可能性をもっており、人材教育をすべき対象なのである。

 では、その社長はどうしたらよいか、誰も助けてくれない、誰もおしえてくれないのだ。ここまで考えてきたら、社長はハラを据えて、死に物狂いの努力をする以外に方法はないことを肝に銘じなければならないのである。

 すると、ここに思いがけないことが起こる。社長の必死な姿、そのうしろ姿を見て、発奮し、懸命になって社長の後を追いかける社員が必ずでてくる。そして、そのような社員が、優れた人材となってゆくのだ。

 つまり、人材というものは、作ろうとして作れるものではない。社長の死に物狂いの努力を見て、これを真似しているうちに、自然に人材が生まれてくるものなのである。

 「企業は人なり」の本当の意味を社長自身が自ら理解し、中小企業における会社の浮沈は社員の能力如何ではなく、99%が社長の人材としての器にかかっていることを十分認識し、間違った「人材待望論」をいち早く捨て去ることが会社発展の道なのである。

 

参考文献:一倉定の社長学「内部体制の確立」