菅原会計事務所は
TKC全国会会員です
TKC全国会
TKC全国会は、租税正義の実現をめざし関与先企業の永続的繁栄に奉仕するわが国最大級の職業会計人集団です。
東北税理士会所属

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菅原会計事務所
TEL:(代表℡)0192-54-2722
sugawara.hirosi@tkcnf.or.jp

所内のアレコレ

所内で起きた出来事など、所長や職員についてのあれやこれやを綴ってます。

TKC全国会会報 8月号③

連休明けから巡回監査を再開
―事務所の通常業務はいつ頃再開できたのでしょうか。
菅原 サーバーも見つかったし生活も少し落ち着いたので、四月に入ってから業務を再開しようと動きはじめました。最初はプレハブの「レンタル事務所」を建ててもらおうと思ったのですが、高台に倉庫があったのでそこを改装して仮設事務所にしました。
その時も盛岡センターのSCGが毎週来てくれて、サーバーを運んだりPCでインターネットが繋がるように設定してくれたので、非常に助かりましたね。
そして期限は過ぎていましたが、サーバーの情報を基に相続税の申告をすぐに提出し、現在も三月決算法人の申告業務で非常に忙しい状態です。
―関与先の社長さんはどのような様子ですか。
菅原 やはり全てを失ったショックで、これを機会に廃業したいという社長がほとんどでした。特に後継者がいない社長や、地震保険がおりて商売をしなくても食べていける人は尚更です。
でも様々な政府による支援情報、例えば無償で仮設店舗を借りられたり、助成金を受け取れるなどの情報を提供すると、先の見通しが立ってくるんですね。そうするとだんだん元気が出てきて、今では早く商売を再開したいと意欲を持っている社長が多いですよ。
民宿を経営していた80歳の社長も、何もかも流されたので当然引退するだろうと思っていたら「身体は元気なのにやることがないから、早く働きたい」とやる気満々です。
あとは、社長が亡くなってしまった会社の遺族からの相談が多いですね。資料が何も残っていない状態なので、残された遺族の方から「借金はどうなっているのか」「保険はちゃんとおりるのか」など様々な質問を受けます。そうした質問にも、サーバーに残っていた情報のおかけで対応ができました。
―巡回監査の状況は。
菅原 5月の連休明けから、できる関与先から再開しました。
まずは政府の支援策から、その関与先が受けられるものを情報提供したり、「従業員は一回解雇し、様子を見ながら再雇用するとよい」などの指導をしています。
あるいは、ある水産関係の関与先の場合、津波で機械が壊れてしまったので新たな設備資金を借り入れることになり、銀行に提出する決算書を準備しました。
ただ、こうした関与先はごく一部です。ほとんどは事業が再開できていない状態なので、いくら事務所の体制が整っていても巡回監査をすることができません。こうした関与先はごく一部です。ほとんどは事業が再開できていない状態なので、いくら事務所の体制が整っていても巡回監査をすることができません。そうした関与先には、情報提供を中心に支援を行っています。
みんなが安心して働ける体制作りを
―今後の事務所経営についてお聞かせ下さい。
菅原 実は震災の前から事務所の承継について考えていました。私も年なので、万一のことがあったら関与先にも職員にも迷惑をかけてしまいます。
ある地方銀行のM&Aセンターの担当者が何度か来て、「他の税理士さんに継いでもらってはどうか?」という話もいただきました。でもずっとTKCのやり方でやってきたので、そうして培ってきたノウハウをTKCと関係ない税理士にはやっぱり任せられないなと。
TKCに入会し、様々なことを教わって、それが精神的な基礎になっています。私が少しでも元気なうちに、同じTKC会員同士で税理士法人を作るなどみんなが安心して働ける体制を整え、死ぬまで働きたいというのが今の気持ちです。

TKC全国会会報 8月号インタビュー②

奇跡的にサーバーが見つかり再開を決意
―被災直後はまず何をされましたか。
菅原 まずは親戚や関与先の安否確認が最優先でした。携帯電話を持って外出したのが幸いし、電波が繋がるようになってから一件ずつ電話をかけて状況を確認すると同時に、自分が無事であることを伝えました。
事務所の再開については、実は当初からかなり落ち込んでいたので、事務所をたたもうかと考えていたんです。
―なぜ再開しようと思い直したのでしょうか。
菅原 いくつか理由はあるのですが、大きな要因は二つです。
一つ目はサーバーが見つかったこと。関与先の財務情報をはじめとする重要なデータが全て入っていたので、職員総出で一週間ほど探したけれど見つからず、諦めかけていたところでした。
それが3月25日に、水沢から支部長の佐藤利行先生が(税理士法人あおば会計)が様子を見に来てくれた時「ダメもとでもう一度探してみよう」と言ってくれたので最後のつもりで探してみたら、佐藤先生が事務所から7、8m海側の道路でサーバーを見つけてくれたんです。ちょうど道路が通れるように瓦礫を撤去したようで、その下にあったんですね。本当に奇跡的なタイミングでした。
もちろん水に浸かっていたのですぐ製造元の東芝に送って復元を依頼したところ、約1カ月後に「データは無事です」と連絡が入りホッとしました。
二つ目はTKCからの支援です。被災直後から盛岡被災直後から盛岡センターの後藤センター長、担当のSCGさんが来てくれたし、センターの社員はその後も一週間に一回は来てくれて、様々な情報を提供してくれました。
また義援金や援助物資だけでもありがたいのに、東北会の植松会長には「何か足りないものはないか」と声をかけていただき、仙台のある先生からは発電機を三台も送っていただきました。TKCの皆さんには本当に温かい支援をいただき、このまま事務所をやめてしまっては「義援金だけもらって逃げたな」と言われてしまうので(笑)、今は死ぬまで事務所を続ける覚悟でいます。
※続く

☆更新TKC全国会会報8月号でインタビューを受けました①

菅原会計事務所 菅原弘志(東北会岩手県支部)
会員からの支援を心の支えに事務所継続の覚悟を決める

岩手県最南端の沿岸に位置する陸前高田市では、巨大津波に耐え抜いた1本の松が復興のシンボルとして市民の心の支えとなっているという。陸前高田市唯一の税理士として約40年にわたり会計事務所を経営してきた菅原弘志会員も、自宅兼事務所を津波で失いながら関与先と地域住民のため力強く歩き出した。

黄色い土煙で異常事態を察知
―地震が起こった時の様子をお聞かせください。
菅原 ちょうど確定申告の期限が間近だったので、巡回監査中の職員1人を除き全員事務所にいて、申告業務をしていた時でした。
「揺れが大きいな」とは思いましたが、事務所内の被害としては少し物が落ちた程度でそれほどひどくはなく、書棚やロッカーが倒れるということもなかったんです。
津波のことは全く思い浮かばなかったですね。もちろん三陸沖には何度も津波が来ており、実は3月11日の何日か前にも震度5くらいの比較的大きな地震がありました。
その時の津波が60cmだったので、今回来たとしてもせいぜい1~2mくらいで、沿岸から3km以上内陸の事務所までは届くわけがないと高を括っていました。地震や津波に慣れてしまっていたのかもしれません。
―だからすぐに避難しなかったのですね。
菅原 15分くらい事務所内を片づけて職員を全員帰宅させてから、避難所になっている近くの小学校に向かう準備をはじめました。地域の防災係をしていたので、避難所であることを示す旗を持って立っていなければならなかったのです。
寒かったので手袋をしてズボンを二重に履き、ラジオと携帯電話を持って出かけようとしたら、肝心の旗が見つからず探していたんです。すると、事務所の職員でもある娘が、海の方向に黄色い土煙が立ち上っているのに気付きました。津波が民家を破壊しながら迫ってきていたんです。
事務所から津波の様子が見えたわけではないのですが、その土煙を見て異常な事態が起こっていることを察しました。そのうち数十メートル先の電柱が倒れ濁流も見えたので、慌てて走って逃げました。逃げる途中で振り返ると、事務所が倒されているのがわかりました。
逃げながら近所の人にも逃げるよう呼びかけたのですが、結局大勢亡くなったそうです。私と同じで、誰もここまで津波が来るとは思ってなかったんですね。私はたまたま避難所に行かなければという義務感から外に出たので運が良かった。結局、陸前高田市では行方不明者を含めておよそ2000人、人口の約1割が亡くなりました。
―ご親族や職員さん、関与先さんの被害状況は。
菅原 市街地にある市役所や高校が避難場所に指定されていたのですが、そこも津波に飲み込まれたため、親戚が何人か亡くなりました。また職員の1人が、帰宅途中に市街地で津波に遭遇し行方不明になってしまいました。
関与先は法人と個人、年一顧客を含めて200件ありましたが、社長が亡くなってしまった会社も十数社あります。一関など一部の関与先以外はほぼ被災しています。
職員は、一度解雇する形をとれば退職金を出せるし失業保険もすぐに出ます。その上で落ち着いたら再雇用しようと思ったのですが、職員が「解雇はしないで欲しい」と要望したので、現状のまま雇い続けることにしました。
自宅は事務所と同じ建物だったので当然住む場所もなくなってしまい、しばらく近くの公民館で避難生活を送りました。事務所があった場所に毎日通って「背広がないかな、あればポケットの中にへそくりがあったはず」(笑)と、何か残っていないか探しましたが、やはりすべて流されてしまっていました。
※続く

☆更新TKC東北会だより2月号に当事務所が掲載されました

TKCの王道を行く
「創造的革新」

今回は、岩手県支部の菅原弘志先生の事務所を訪問させて頂きました。ご多忙中にもかかわらず、取材も丁寧に対応して頂き、いろいろなお話を聞かせて頂きました。ありがとうございました。

TKC入会のきっかけについてお聞かせ下さい。

開業して3年が過ぎた頃、ある問題が発生し税理士業務に自信が持てなくなっていた時期がありました。その時に、現東北税理士会会長深田一弥先生より故飯塚会長の講演テープを頂き、「飯塚事件」を克服された精神力、職業会計人としての生き様を学び、進むべき方向が明確になりました。

TKC入会当時の活動について印象に残っている事はありますか?

TKC入会時、私は経営助言委員会に所属していました。創造経営の宮本先生に経営理念や経営計画の大切さを学んだ事、西順一郎先生が開発されたマネジメントゲームの全国大会に東北会代表として出場し、栃木の鬼怒川温泉で善戦むなしく敗れ、情報入手の大切さを感じさせられました。

事務所の経営理念についてお聞かせ下さい。

「創造的革新」。変化は止められない。できるのは、その先頭に立つ事である。(ピータードラッカー)
リコー創業者故市村清氏の「その鳥を狙うな」という講演の中で、鳥黐で鳥を捕らえる名人の話があります。鳥が枝に止まっている姿勢、風向きなどを見て、鳥が飛び立つ方向に竿を差し出すことにより確実に捕らえる事が出来るという内容でした。常に鳥黐名人の精神で職責を全うしたいと思っています。

事務所経営において大切にしている事はありますか?

事務所の経営理念にも関わっていますが、事務所の内部統制の一環として、「二点改善」を実施しています。事務所の合理化・体質改善の為、職員に毎週提出させ、その中で二点の改善事項を抽出し、事務所内に掲示しております。毎週やることにより、私自身を含めて職員全員改めて気持ちが引き締まるという相乗効果もあります。

新規TKC会員へのメッセージ

故飯塚会長は、講演の中で哲学者の言葉を引用され、「人生の最も偉大な事は人々に方向を与える事だ」と言われております。歴代TKC全国会の会長が進むべき方向を示されています。㈱TKCが開発したシステムの高度利用に取り組む事が、地域経済の発展に貢献できると信じております。

TKC東北会だより(2011年2月号)より抜粋

東海新報に「けせん塾」にて講師を行ったことが掲載

会計の大切さ学ぶ

「けせん塾」で公開講座

けせん倫理法人会(渕上清会長)が主催する「けせん塾」の公開講座がこのほど、大船渡市大船渡町の㈱小川内で行われた。陸前高田市にある菅原会計事務所の菅原弘志税理士を講師に招き、経営管理につながる会計について学んだ。
けせん塾は会員相互の繁栄、交流を深めようと、十月から開講。月一回ペースで地元トップリーダーらを講師に招き、経営者に求められる要素などを学ぼうと研修を深めている。この日は塾生や同法人会員ら約三十人が出席した。
菅原税理士は「会計で会社を強くする」と題し、貸借対照表や損益計算書、キャッシュフローをまとめた表の見方をアドバイス。設備投資や現金による仕入れ、借入金返済といった具体的な動きがどのように反映されるかを分かりやすく説明した。自社の経営管理に直結する内容とあって、受講生は真剣な表情を見せていた。

東海新報(2009/12/24)に掲載されました

今後とも皆様の発展に役立つよう努めていきます