つれづれ

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☆メモ帳から

篠原はこちょこちょ書くのが好きなようである。

今回は、テレビドラマの様子やその中で使用されたセリフが、こちょこちょ記載されているノートの中から幾つか紹介する。

「認知症の私に見える風景」

小さな川に

小さな橋がかかる

ぼくらには

これぐらいがちょうどいいのかもしれない

どこにいても人はみんな優しい

あたりまえかもしれないけれど

生きているだけで素晴らしい

「君に知ってほしい」

書道をやっていて100枚書いたら100枚目一番いいて全然ない

2枚目が最終的に一番気に入ったんやが

でも、98枚がムダではなく次につながると思っています。

努力という種をまかなければ夢という花は咲かない

人間、夢だけでは生きていけない、夢がないと生きる意味がない

親というのは酵母みたいなもの、パンが膨れる為には酵母が必要だが、パンが膨れたら酵母は居なくなってしまう。

親は子供の頭をなでて褒めてあげるのに、子供に褒められる事は無い

親は子供に永遠の片思い

仕事という怪物はお金を食べて生きています。

散ることを知りながら咲くことを恐れづ

人は皆、間違いを正しながら生きていく最善を尽くして

流水濁らず忙人老いず

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☆小さな幸せ大作戦

今日は令和6年1月4日、篠原事務所仕事始めの日である。

年末年始を少し振り返ってみる。

12月25日の朝、篠原はトッピーの窓側に座っていた。

船が動き出すと、朝日が差し込んで来て眩しい。

その光を手で遮りながら『この眩しい光に一週間後は手を合わすんだろうな~太陽の形が変わる訳でもないのに~』などと思っていた。

28日御用納、初めてこの日に事務所忘年会を行った。

30日例年同様、実家で餅つきをした。

翌日、家の周りや車の掃除をしていたら年末が終わってしまったが、31日の夜、篠原は翌朝の作戦実行のため早く寝た。

元旦早朝(朝4時頃)起きた篠原は作戦(小さな幸せ大作戦)の実行を開始した。

実行と言っても、小豆を煮て「ぜんざい」を作るだけだが・・・・・・・

昨年の目標の一つが、「幸せをかんじる」だった。

幸せの感じ方は、人それぞれだろうが、篠原の場合、夜空や朝焼けの空を見たら『何て、きれいなんだ、こんな空を見ることが出来て幸せだな~』と感じている。

それと同時に「俺の幸せは安いし小さいな~」と呟いている。

そんな小さな幸せを感じていた篠原が突然、自分で育てた小豆と自分でついた餅を使って「ぜんざい」作って食べたら、少しは大きな幸せかもしれないと思った。

作戦名「小さな幸せ大作戦」である。

餅は例年実家でついているから問題はないが、小豆が問題である。

だいたい小豆の種が何処に売っているのかさえ解らない

3月、4月、量販店の種売場を探すが見つからない。

あきらめかけていた5月末、地方に行く機会があったので、量販店の種売場を見ると、あった!あった!ありました。

早速、購入して帰って来たが、種の植え方や肥料のやり方がわからない。

しょうがないので、野菜を育てる要領で畑を耕し肥料を播いて植えてみた。

心配したが、芽が出てすくすくと育ったが、予定より大きくなり実がならない。

「野菜とは違う!肥料のやり過ぎ」と兄に言われたが、何とか「ぜんざい」一回分程の小豆の実を収穫出来た。

年末、「ぜんざい」を作った経験のない篠原は小豆の煮方をネットで調べて作った。

ちょうど出来上がった頃、太陽が昇って来たので、玄関前で大陽に向かい柏手をうち、形の変わらない太陽に手を合わせた。

出来た「ぜんざい」をお椀に入れて、実家の兄に渡すと、仏壇に供えてから兄は食した。「サラッとした甘さだ」と兄は言った。

家に帰り、「小さな幸せ」を感じながら、長男夫婦と一緒に「ぜんざい」を食べた。

「お父さん、次は砂糖作りだね」と長男に言われた。