25-11287
☆同窓会
篠原の母校は、鹿児島商業高等学校である。
ちょうど、校舎が天保山から坂元に移転した年(昭和46年4月)の入学で、坂元一期生と言われる世代である。
そして、毎年10月の第一土曜日は、同窓会総会がある。
母校の同窓会総会参加者は、約600名程だと思うが、準備が大変である。
毎年、本厄になる卒業生が担当幹事で、記念誌の広告を取ったり、チケットを販売したりしている。(今年は、平成14年卒業生が担当だったと思うが・・・・13年だったかな~)
篠原も数年前から、毎年総会に出席している。
目的は、いつの間にか監事になっているので監事報告があるためである。
元々男子校だったので、先輩から言われると「ハイ」と答えるのが普通になっている。
監事になるときも先輩税理士から「監事に一人欠員がでたから篠原君を推薦しておいたよ~」の電話に「ハイ」と答えてしまったのだ。
昨年は創立130周年ということもあり、同窓会総会より祝賀会が前面にでていたが、昨年から総会の様子に変化が見られるようになった。
皆さんご存知の通り、昨年から男女共学になったからである。
総会では、全員起立して校歌斉唱から始まる。
壇上には黒い学生服を着て、頭に白い鉢巻きをした応援団長を中心に団員全員が集まり学校の応援メッセージを発してから校歌斉唱が始まるのだが、昨年から応援団の後ろでチアリーディング部の女子生徒が踊っている。
『ついこの間まで、全国でも珍しい男子だけの商業高校だ!!と言っていたけど、変わったな~』と感じていた。
宴会が始まる前、チアリーディング部の女子生徒が「練習用のマットがありません。寄付をお願いします~」と言って各テーブルを回ると、オジサン達の気前のいいこと。
これが昨年総会の記憶だが、今年は、更に変化を感じた。
今年も校歌斉唱で始まったが、壇上の応援団長が女子生徒なのである。(いつもと同じ学生服と鉢巻きスタイルではあるが)
更に驚いたのが、今年4月の入学ということと、高校の音楽部と鹿児島信用金庫の吹奏楽部が合同で校歌を演奏していたことである。
『世の中、凄いスピードで変化しているんだな~』と感じる瞬間であった。
もちろんチアリーディング部は昨年より華やかに踊っており、しっかりと寄付集めもしていた。(もちろん篠原も寄付した)
昨年から男女共学になったと書いたが、一度だけ「私も商業高校出身よ」と言われた高齢婦人にお会いしたことがある。
高校の沿革史を見ると、昭和25年4月、商業科並びに家庭科設置。
昭和31年4月女子商業科・家庭科は鹿児島女子高等学校に分離と記載されている。
分離前の高校生だったですね~
25-10286
☆新 介護百人一首
篠原事務所が入居しているビルのオーナーと管理会社が替わった。
前の管理会社は、私の口座から引き落としして家賃を支払っていたが、今回からは、毎月こちらから指定口座に振り込むように指示された。
そこで、銀行のATMから振り込もうと思い、キャッシュカードを入れて操作するが、「ただ今のお取引は受付できません。」と表示されて終了した。
『そんなバカな、200万や300万の振り込みじゃあるまいし、高々12万の家賃を振り込むだけなのに、俺が操作を間違えたかな~』と思い再度挑戦するが、結果は同じである。ATM終了時に出てきたご利用明細を見てみると、
「警察当局からの要請により特殊詐欺被害防止のため、一定期間お振込みのない65歳以上のお客様はATMでの振込上限額を1日10万円までとしております。詳しくは窓口へお問い合わせください。」と記載されている。
『なに~!! 65歳になると勝手に家賃も振り込めないのか~!!』と思いながら窓口に行き、制限を解除してもらい(解除するにも身分証明書を出したり、必要書類の記載があり面倒なのだが・・・)何とか振り込みができたが、世間では65歳以上になると、社会的弱者なんだな~と思ってしまう・・・・・・
そんな時、NHK厚生文化事業団から「2024 新 介護百人一首」の小冊子が届いたので一部を紹介します。
介護するされるどっちがいいですかオレはする方妻もする方 大橋 誠72歳
七十過ぎて介護が話題になるといつもする話です。
「テリマカシー」とインドネシアの介護士に感謝すれば抱擁してくる 石川 知子89歳 入院中インドネシアの介護士からインドネシア語を少し教わりました。
施設に入りお世話になっているインドネシアのスタッフに使ったら、しばらく茫然とし、 その後判ったらしく突然ハグしてくれました。
*「テリマカシー」はインドネシア語で「ありがとう」の意味
母が言う「母さん母さん」母の母そうか母にも母はいるのだ 内田 美隠16歳
自分からしたら祖母は祖母で母は母だが、母からしたら祖母が母になるという。
少し不思議でおもしろい。自分もいつか母になり祖母になるのだと。
お年玉上手に使えというけれど渡されてないよおばあちゃん 岡光 杏実18歳
私の祖母は認知症が徐々に進んでおり、お年玉を渡したつもりで何に使うのか聞いてく るので、返答に困ります。
(裏に続く)
もやもやを紙ふうせんにそっと吐(つ)き空にはじけば青さらに青 加藤 直子72歳 一時間の道のり、母の介助をした帰りに雑貨屋さんで目にした紙ふうせん。かわいい 色合いや、子供の頃の懐かしさもあり、疲れた心も和らいで優しい気持ちになれました。
Tシャツの胸には「人生は地獄」学生介護者に歯をみせる 貴田 雄介37歳
大学時代に中年男性の介護をしていました。その人はプロレスラーのような体格の人で ユーモアのある方でした。胸に「人生は地獄です」と書かれたTシャツをよく着ていて 「ハハハ」と笑って冗談を飛ばしていました。
祖母の足初めて見た夜に決めましたあなたを支える介護士になると 君島 あみ19歳
小学生の時、手術をした祖母の足の傷口を見て、その痛々しさに思わず泣いてしまいま した。その際考えたことがこういった人々の力になりたいということでした。
できなくて困っていてもいいんだよ助けるためにいるんだからね 坂上 叶和15歳
できないことに対して「恥ずかしい」と思うのではなく介護者である私たちに頼ってほ しいと思ったから。
飛び降りて死ぬなら歩く練習が必要ですねとなだめる夜更け 澤田 詩織24歳
夜、不安になったのか「飛び降りて死にます」と言い出した利用者さんがいました。し かしその方は数年前の怪我のため車椅子を使っている方だったので「飛び降りるなら歩 く練習をしないといけないですね」と言ったら「そうねえ」と苦笑いしておられました。
幼き手家事に学業背負いながら笑顔絶やさぬ君の強さよ 高野 倖菜17歳
ヤングケアラーとして家事や介護を担いながらも、学業と両立し笑顔を絶やさない友達 の負う重責と秘めた力を表現しています。
「姥捨てや」体の中をこだまする手を振る母を置いてくるとき 中村 直子70歳
母ひとり子ひとりで育った私は、最後まで母の世話をすると決めていましたが、様々な 事情で施設に入ってもらうことになりました。景勝地の山裾にある施設から帰るとき胸 がつぶれる思いでした。
当日にラインで届く「辞めます」にため息漏れる介護の現場 渡辺 智賀子69歳 便利な通信手段のある今の時代。休む旨の電話で怒られていたのは、ついこの間のよ うな気がします。いいのか悪いのか?
沢山載せてしまった・・・・・・
今年は、若い人の短歌が多い気がする。
介護の現場では、外人が活躍している様子もうかがえるが、当日に「辞めます」とラインを受け取った後の対応も大変だろうな~と思った。
今回は長くなったが「ほいたらね~」(アンパンではこう言ってたと思うが・・・・)
25-09285
☆夏の終わり
今日は8月31日、子供たちは夏休みの宿題に取り組んでいるのだろうか?
そもそも、夏休みの宿題があるのだろうか?
夕方、孫が来たので聞いたら宿題はあるが、提出日は8月の出校日だそうである。
篠原は、長男嫁に借りた本を読み終えていないので夏休みの宿題が終わらない。
8月初旬、種子島に行ったのだが、三ヶ月前のような気がする。
忙しいからだろうか、時間軸が狂っているからだろうか。(老人性だろうか?ただのボケ老人だろうか?)
まあ~どうでもいいけど、つれづれ7月に書いたスコットランドでの車事故について、もう少し詳しく書いてほしいとリクエストがあったので、老人の記憶をたどりながら書いてみる。
事故に遭った直後(タンクローリーの運転手と別れた後)、一度リース会社に戻り事情を説明して、別の車に替えて貰った方が良いのではないかと息子に話したが、息子はサイドミラーを力で元に戻し、明日の予定があるのでこのままで良いと答える。
夕食後、息子は村に一軒だけあるbarに行くと言うので、悪酔いするのではないかと思い止めるが、「お父さんが思っているほど凹んでないから大丈夫」と言って出かけた。
その後眠りについた私が、11時に目覚めると息子は帰宅していない。
心配になり迎えに行くと外は薄暗い(夕方と夜の間くらい)。
barに着くと(自分達が借りている家からbarまで一分程)日本人のバーテンダーと話しをしていた息子が「あら、お父さん今帰るところだった~と」明るい声で言うから安心した。
バーテンダーに勧められたので、帰宅後、息子が警察に電話するが、なかなか繋がらない。翌日、ウイスキー蒸留所見学に行く30分程前、息子はパソコンに向かい英文で何か入力している。
入力の終わった息子が「お父さん出かけよう、昨日の事故状況説明書をリース会社に送ったから」と言うので車で出かけた。
途中、篠原も車の運転をするが、助手席にいた息子に「お父さん左に寄りすぎ」と怒られる。(その後は運転させてもらえなかった。)
曇っているせいだろうか、寒いのでセーターを着る。
夜、鹿児島だったら焼酎のお湯割りを飲むところだが~と思いながら息子とbarに行き「すみません、変な注文ですがウイスキーのお湯割りをください。」と日本人バーテンダーに頼むと快く作ってくれた。
翌日の夕方リース会社に車を返しに行ったが、息子の報告書を見ていた担当者が、「ウイスキーの運送会社を調べたら、物凄く儲かっている会社だから一億ぐらい請求すれば良いのに」と言われたそうである。
そんな事はどうでも良い私たちは、75£(15000円程)の免責金を支払い飛行機でロンドンに移動した。
25-08284
☆夏休みの宿題
田舎に住んでいる。
田舎と言っても映画館までは車で15分の場所である。
自然豊かと言えば聞こえは良いが、我が家の周りは山と畑である。おまけに私の車庫の隣はコイン精米機もある。
そんな環境の篠原家に、今年は夏がこないのではないかと思っていた。
毎年7月になると、家人の好きなクワガタやカブトムシの採集が始まり、飼育箱が3個程玄関に並ぶのだが、中旬になっても1個しかない。
『遂に日本もカブトムシが住めない程、暑くなったのか~』と思っていたが下旬になるといつの間にか飼育箱が3個になっていた。
すぐ近くが実家である。
実家には農業をしながら生活している私の兄が住んでいるのだが、4月から入院している。
農業をしている人が入院すると、入院後にできた農作物(ジャガイモ、唐芋の苗、玉葱などなど)をどうするかが問題になってくる。
従兄弟に手伝ってもらい、収穫した野菜を無人販売して処分しているが、それよりも厄介なのが、畑に生えた雑草の処分である。
家人は「あなたが、実家の草刈り機で草払いをすれば良いのよ」と簡単に言うが、燃料をどこで購入すれば良いのか、エンジンはどうやってかけるのかも解らない。
従兄弟のAさんが扱い方を教えてくれたので、後日一人で草払いをしようと思い、燃料を入れエンジンをかけるが、何回やってもかからない。
しょうがないので、近くの自動車工場に持って行きエンジンをかけてもらい、草払いを始めるがなかなかの量である。
これは一人では、ダメだと思い、甥っ子に手伝ってもらい何とか終わったが、2週間もすると、また伸びてくる。(雑草の強さに感心する)
兄が入院して1ヶ月以上過ぎた頃、実家の庭に置いてある盆栽に誰かが水をやってくれている事に気付く。
『自分が知らないところで、気に掛けてくれている人がいたんだ~』と思う。
幼稚園児の芋ほり遠足に備えて、畝を作り芋の苗も手分けして植えた。
兄の退院に備えて、実家の雑草取りやサツキの剪定もしてもらったので、従兄弟のAさんに「いつも手伝ってもらうばかりで、すみませんね~」と言うと「なに言うの~お互いさまだがね~」と返された。
その言葉に人のやさしさと、温かさを感じながら『これって、小さなコミュニティではなかろうか』と思っていた。
数日後、長男夫婦と食事しながら、従兄弟達の話しとコミュニティの話しをしたら、長男嫁が「お父さん本を貸しますから読んでみてください」と言って貸してくれた本の題名が、「文化人類学入門」である。
『これは夏休みの宿題ではないか?感想文を書いて提出かな~」と思って読んでいる。
25-07283
☆2024・06・01
スコットランド、エディンバラのホテル
3時40分起床
荷物の整理をして4時40分散歩に出かける。
外は明るく静かである。
歩きながら看板や貼り紙にケイタイをかざし、翻訳アプリに映し出された日本語を読む。
ホテルから駅まで歩いて行き、汽車でアバティーンに移動。
アバティーン駅から空港に移動しレンタカーを借りる。ホンダの黒い車である。
日本と同じ、右ハンドル左側走行だが、ワイパーと方向指示器が逆に付いている。
ケイタイのナビをセット(もちろん日本語で案内する。便利な世の中である。)し、ウイスキー蒸留所見学に行く。
信号はあまりなく、交差点はロータリー式になっている。
宿泊場所は、人口540人程のクライゲラヒと言う村の一軒家である。
付近に蒸留所が沢山あるせいか、レストランはないが、barだけは近くに一軒ある。
食事は自分達で作らなければいけないと気付く。
車で10分程走ればcoopがあるので、そこで買い物すれば良いと大家さんに聞いたので、息子の運転で買い物に出掛けた。
帰り道、珍しく信号機のある三叉路を右折した時、運転手側で、
「ガガガ~~!!」と大きな音がする。
自分たちが右折した内側を右折した車が、運転手側にぶつけたらしいと判断して前方を見ると、タンクローリーが走っている。
『あいつが、ぶつけたのか!!!』と思いタンクローリーを追いかける。
すると、自分たちが借りている家近くのウイスキー会社で停車したので、降りて自分たちの車を見ると、運転手側のサイドミラーと側面を傷つけられている。
息子が、年老いた運転手に文句を言うと、ベンツ社製のタンクローリー左側を見て「お互い、自分の車は自分で修理すればいいじゃないかと」と言う。
息子が言い争っていると、上司らしき人が事務所にいるのが見えたので、その人に話に行くと、あの運転手は自社の従業員ではなく、会社が委託しているウイスキー運送会社の従業員だから自分ではどうにもならないと言われる。
再び運転手と話しをすると、「運転画像は録画してあるのでそれを見れば状況が分かる」と言うので、「だったらその画像を見せろ!!」と言ったが、「自分には権限がないので見ることが出来ない。会社の上司と保険会社が録画を見て判断するので自分ではどうにもならない」と言うので、何も解決しないまま別れた。
自宅に帰り、買ってきたハンバーグを焼こうとするが、電磁機器の使い方が解らないので大家さんの奥さんから説明を受けながら、『外国に来て調理場に立つなんて考えたことなかったな~』と思っていた。
返納した国際運転免許証の思い出・・・・・・・・
25-06282
☆ 運転免許証返納
4月、運転免許証を返納しようと思い近くの春日交番に行ったが、交番が留守(入口に鍵がかかっており誰も居なかった)だったのでそのままにしておいた。
5月21日は篠原の誕生日だった、70年生きていることになるのだが、そんなことも忘れるくらい、5月は忙しかった。
そんな忙しい5月が終わり、6月3日私的な飲み会がアミュ(中央駅)近くであった。
以前同じ場所であった時は、事務所から歩いて行ったが、今回は電車で移動した。
電車を降り、アミュの方に歩いて行くと左側に交番があることに気付く。
『事務所近くではなく、ここで返納しても良いのではないだろうか?』と思い交番のドアを開けた。
交番の中には男性3人と女性の警察官がいた。
40代の男性警察官とアクリル板越に面会する。
「何か御用でしょうか?」
「これを返納したいのですが」と言って、バッグから国際運転免許証を取り出し警察官に渡す。受け取った警察官は、「これは何ですか」と質問するので、
「期限の切れた国際運転免許証です。発行から1年経過したら(有効期限1年)どこの交番でも良いから返納してください。」と言われたものですから。
警察官は免許証を見ながら、「初めて見ました。ご本人ですか~?」と質問する。
「ええ~後ろに写真が有りますので、昨年スコットランドに旅行した時、作ったものです。」と言いながら男性警察官の後方を見ると、女性警察官が取り扱いについて本庁に電話している。
その後、女性警察官と話した男性警察官が、
「書いていただく書類は何も無いようですから、確かにお預かりしました。」と言ったので、交番を後にした。
「お父さん、イギリスやスコットランドは日本と同じ右ハンドルだからレンタカーで移動するから国際運転免許証を取って」と長男から電話があり、昨年4月に取得したのが先ほど返納した免許証である。
『そうか、昨年の今頃はスコットランドにいたのか~』
『仕事量は昨年も今年も変わらないハズだけど、良く休めたな~・・・・・・』
『ウ、ウン~良く解らないけど事前準備が良かったんだな~ということにしとくか~』
それよりも、国内免許を何時返納するか考える時期(年齢)がきた気がする。
知り合いには返納した人もいるし、80代後半でも軽トラックをバンバン運転している人もいる。
ただ、坂元に住んでいると、買い物も病院通いも車が無いと不便である。
バス停までは、かなり距離があるし、便数は少なくなっているし・・・・・・・
仕事だって、いつまでするんだろ~
篠原だけだろうか、年を重ねるって色々考えなきゃいけないんだな~・・・・・・
25-05281
☆石段
「かっちゃ~んがんばれ~」
「かっちゃ~んがんばれ~」
上の方から声が聞こえる
かっちゃんは、フウフウ言いながら石段を登る。
「かっちゃ~んがんばれ~」
だんだん声が近づいてくる。
「さんぜん~さんびゃく~さんじゅう~さんだん~」
と言って、かっちゃんは頂上にたどり着く。
今日は、4月29日連休の前半である。
場所は、熊本県美里町にある日本一の石段、釈迦院御坂遊歩道3333段。
そして、かっちゃんは、篠原のことである。
応援していたのは、先に頂上に着いた二人の孫である。
3月、白銀坂を歩いたと書いたが、孫には石段を登る練習だからと言って歩いた。
前回は、6年前の5月3日に登ったと「つれづれ」に書いているが、6年前とは大分様子が違う。
前回は、スタート地点にあったトイレが無い。
トイレは200段先にあるトイレを使用するようにと、記載した貼り紙がある。
『トイレに行くのに200段登るのか~』と思いながら歩き始める。
前回は、テレビ放送(ドキュメント72時間)のあった直後だったので、石段登りラッシュの感があったが、今回はガラガラである。
前回同様、頂上で家内が待っているので、下山する事は無いのだが、私と違い下山する人達に挨拶しながら石段を登っていると、バーベルを両手に持って降りてくる人がいる。
40代後半とおぼしき、胸板の厚いボディビルをしているような男性である。
思わず、「そのバーベル何キロあるのですか」と声をかけてみる。
「今日は調子が悪いので、一個10キロですから、両手で20キロですね~」と軽く応えるので、「調子の良い時は何キロですか~」と質問する。
「両手で25キロですね~寝たきり老人にならないように鍛えているんで~す」と言いながら降りて行った。
前回は2時間かかったが、今回は1時間30分だった。
6年前と違い、体重が軽くなったせいで負荷が少なくなったせいだろうか?
ただ、人が少なかったからだろうか良くわからないが・・・・・・・
近くに食事する場所がなかったので、物産館(道の駅)で昼食を済ませて、壁の地図をみると五家荘の一部である事に気付き『山深いハズだよな~』と思う。
帰路の車中、家内が「もう~来る事はないよね~」と言う。
しばらくしてから、運転をしている二男に「次は開聞岳に登ろうか」と言っていた。
これが、篠原のゴールデンウイークである。
25-04280
☆「まさか」と白銀坂
3月中旬、確定申告の終了が見え始めた頃、ある男性から電話があった。
「兄の部屋の書類片付けをしていたら、そちらの事務所の書類が出てきたので電話しました。」
「お兄さんて、どなたですか」
「Aです。そちらで確定申告してもらっていたのではないですか?」
「ハイそうです。毎年早く来られのに今年は遅いな~と思って電話したのですが、留守電になるので、入院でもされたのではないかと思っていました。」
「入院ではなく、昨年12月に突然亡くなりました。」
「エッ・・・まだ若かったですよね~」
「50代半ばでした。後日、書類を持って事務所に行きます。」と言って電話は切れた。
後日Aさんの弟さんが、コーヒーと書類を持って事務所に来られた。
「コーヒーを事務所で使ってください。」
「兄がパソコンで注文して、コーヒーや健康食品を定期購入していたらしく、しょっちゅう届くんです。パソコン開いて解約したいのですが、パソコンを開くパスワードが解らないので解約出来ないのです。株取引もしてたハズですが~・・・・・」
そうです、IDやパスワードが解らないと大変なんです。
篠原も経験があります。
篠原の場合、自分で設定したパスワードが解らないのです。
息子(次男)に怒られた。
「お父さん!!IDやパスワードはこれに書いて決まった場所に保管しなさい!!」と言われて手帳を渡された。
その次男と孫(小学生と保育園の男子)長男嫁、私の5人で3月末、白銀坂(しらがねざか)を歩いた。
白銀坂を知っている人もいると思うが、姶良市脇元から鹿児島市宮之浦までの石畳の残る旧街道である。
もう少し具体的に言うと島津ゴルフ場から、国道10号重富までの山道である。
以前篠原は、ゴルフ場に車を止め重富まで下山し、蕎麦を食べ車を止めてある場所まで登った経験があるが、今回は、島津ゴルフ場に送ってもらい、重富を目指して歩き始めた(下山を始めた)。
歩いた経験の無い家内は「山を下るだけだから簡単でしょう~30分もあればいけるんじゃない~」と簡単に言うが・・・・・・・・
石畳や景色を見ながらゆっくりと歩いて行く。
当日は、天気も良く汗ばむ気温である。
『到着したら冷たい蕎麦と冷たいビールだ!』と思いながら歩いていると、昼前にたどり着いた。
早速、蕎麦屋に駆け込むと20組待ちである。・・・・・・・
25-03279
☆春が来る前に
世間では、春の気配を感じられる様になってきたな~と思っている人も多いだろう。
世間ではと書いたが、税理士事務所では春を感じる前に越さなければならない確定申告と言う大きな山がある。
3月7日が頂上到達予定日なのだが6合目辺りでウロウロしている篠原は、到達できるかな~と思っている。
今年の確定申告のスタートは一月にかかってきた不動産屋さんの紹介電話からだった。
翌日、紹介のあった男性と面会すると、「すみません、確定申告の前に令和2年からの修正申告をしてください。」と言われた。
先日、修正申告は終わったが・・・・・・・・
この時期、事務所に来られる方も多い。
先日、来られた婦人は「篠原さん、うちの息子はシラスを売っているのだけれど申告難しいのよ~」と言われるので
「街に住んでいるのに、何処にシラス山を持っているんですか~」と篠原が質問すると
「山じゃなくて海よ~」との答え
「エエエ~~海ですか~」
「そうよ!!あのウナギのさ~」と言われて理解できた。
「海で思い出したけれど、先日のテレビで漁師さんが、若い女性タレントに、鯖はあしが早いからと言ったら」
「鯖は泳ぐのが速いのですか~とそのタレントが言ってたわよ~」
などと確定申告には無関係な話を賑やかに沢山して帰っていかれた。
例年申告に来られる方が来られないと『入院されたのだろうか?まさか亡くなった訳でもないだろうに~』などと心配してしまう。
そんな時に来られた初老の男性。
「篠原さん相続の事を教えて、俺の軽自動車みたいな脳ではよく解らないんだよね~」
「兄の家のことなんだけど、甥っ子、姪っ子で色々と揉めててね~」
「俺の父親の相続時はそんなに揉めなかったのに・・・・・」
「大した遺産がなかったから揉めなかったんだと思うけどね~」
「父親から受け継いだ遺産はなかったけど、父親から受け継いだ遺伝はあったな~」
「遺伝て何ですか?・・・・・」
「ほら、糖尿病の薬と高血圧の薬を飲んでいるの知っているでしょう。」
「これは、父親から受け継いだ遺伝ですよ。受け継ぎたくなかったけど、遺伝残すなら遺産残せ~と言いたいよね~」
「そうそう、甥っ子と姪っ子だけど、甥っ子の言う事がどんどん変わって本心が解らない
人の心を写せるカメラがあればいいのに~と姪っ子がボヤクのよ~」
「人の心が写せるカメラ、どこかに売ってませんか~」
「そんなカメラある訳ないか~・・・・・・・」
25-02278
☆キャッシュレス
昨年末、飲み会の割り勘に初めてQRコード決済を利用した。
スマートフォンのアプリを開いて、LINE(ライン)を介して幹事に送る。
届いたか心配で、本人に確認するところが「アナログ世代」か
一方、今の学生たちははうまく使いこなしているようだ。
<お小遣い LINEでねだり ペイを待つ>(サラリーマン川柳)。
お年玉もネット経由を望む子供が増えているらしい。
2023年の日本のキャッシュレス決済比率は約4割だった。
新型コロナ過に人の往来や現金のやり取りが敬遠されたことで一気に進んだという。
平均1500円程度の決済が増えているというから、日常的な利用が定着しつつあるのだろう。
便利さや手軽さが魅力だが、親には心配も募る。手持ちの現金でやりくりする経験がなければ、金銭感覚が育たないのではないか。スマホやカードさえあれば、何でも買えると思ってはいないか。
キャッシュレス決済比率が9割超の韓国では、多重債務やカード破産が増えていると聞く。日本でも匿名で利用可能なサービスを悪用した事件が相次ぎ、若者が加担するケースも目立つ。
5年前の南日柳壇にこんな句があった。
<年金を 新札に替え 孫を待つ>(福元雅)
家族が集まる正月である。せめてお年玉ぐらいは手渡ししたい。
とびきりの笑顔と「ありがとう」が返ってくれば言うことはない。
2025年1月3日南日本新聞、南風録に記載されていた記事である。
篠原も「カード、スマホで予約支払ができるようになる」が今年の目標の一つである。
昨年、長男と海外旅行をした時、全てがカード決済だった。
長男が、タイのホテル内にあるATMに自分のカードを入れて現地の通貨を引き出し、スマホでタクシーを呼び、支払も終わっている光景を見た。
イギリスもドイツもカード決済である。(旅行に行く前に長男の口座に資金を振り込んでおいたので、長男がカードで決済してくれた)
通常の支払は、現金しか使用しない自分にとって衝撃であり、『自分は時代遅れで化石だ』と思ったのが理由である。
帰国後、自分の管理している通帳から支払するデビットカードを作成した。(家内が管理している口座引き落としのカードを使用すると、忘れた頃に使用目的を質問されるので)スマホで航空券やトッピーの予約をして、カードで決済することも練習中であるが、不慣れな篠原は時間がかかるし、画面を見ていると疲れる。
以前ように旅行会社に電話して、会話しながら予約や発券をしてもらう方良いと思うが、スマホに向かい無言で操作する事が合理的なんだろうが・・・・会話の無い世界だな~
25-01277
☆年末の風景
今日は1月5日、自宅で「つれづれ」を作成している。
いつの間にか新しい年(令和7年 2025年)になってしまっている。と言うのが実感であるが、今年も「つれづ
れ」君をよろしくお願いいたします。
昨年は、第三コーナー(10月以降)を回ってから忙しかった。
映画も見に行っていない。(昨年は、19本しか見に行っていない。その前の年は25本)
昨年末はクリスマスの感覚も無く、正月が来るという気分でも無かった。
12月25日篠原は、奄美空港発のバスの中にいた。午後から仕事で当日は、奄美泊である。
奄美のバスに久しぶりに乗った。空港から市街地までノンストップで移動すると、思っていたら、バス停ごとに停車
する乗り合いバスである。
『何時ものようにレンタカーを利用すべきであった~~時間も予想以上にかかる・・・・これでは昼食の時間もない
~~~』と思いながら、ケイタイで明日の搭乗券画面を開くと、何かおかしい・・・・欠航と言う文字が見える。
『天気も良いし、予約もしているのに何が欠航だ~~』と思いながら詳しく見ると、料金返金、予定変更の文字が見
える。
さらに、下のほうを読むと、明日10時40分奄美発は機材繰りの関係で欠航します。と表示されている。
な、な、な、な・・・・何い~~篠原はうろたえる・・・どうすれば良いのよ~~誰に連絡すればいいんだよ~初め
ての事なので対処の仕方がわからない。
少し落ち着いたところで、明日、空港カウンターで対処してもらうか、今、手に持っているケイタイで対処するしか
ないと気付く。
ケイタイでJALのアプリを開いて、明日の予約状況を確認すると8時45分発残り座席1を見つける。
これだ!!と思い、早速予約手続きを開始するが、不慣れな篠原には大変である。
それでも、予約を確定させると予約番号がスマホに表示されたので、フウ~とため息をつくとバスは降車予定のバス
停の近くまで移動していた。
翌朝、7時9分のバスで空港に移動し、空港の自動チェックイン機で手続きしようと思い、スマホを開くと昨日表示さ
れていた予約番号が画面から消えている。
画面の下を見ると、システムが混雑していますので、後から接続してください。
と記載されている。ハテ・・・・・???????????(後で聞いた話だがJALにサイバー攻撃があったらし
い~)
結局、カウンターで搭乗券を発券してもらい、何とか帰って来る事ができた。
スマホやPCで予約し、カード決済する手続きが合理的で主流なのだろうが、不慣れな老人には使い勝手が悪い(分
からない)な~~と感じる。
今年は、そういう手続きになれる為に、あちこち出かけようと思っている。
そして、正月休みになった12月29日篠原はインフルエンザに罹患し寝込んだ。
篠原家の年中行事である餅つき大会(昔ながらに杵と臼で餅をついている)にも参加せず
悪夢にうなされていた。