「準備力」って大事だな!  我喜屋マジックの底力

今回は、準備がいかに大切か、という話をします。 

  2010年、沖縄県の興南高校野球部が、甲子園大会で春夏連覇を果たしました。 

 監督は我喜屋優(がきや・まさる)氏。

我喜屋監督の采配は「我喜屋マジック」と呼ばれ、日頃の選手指導がユニークなことから

『日々生まれ変わる(光文堂)』『逆境を生き抜く力(WAVE出版)』などの本まで出版されました。 

 連覇したチームで、セカンドのレギュラーだったのが、国吉大陸氏。

高校卒業を機に野球にはスパッと見切りをつけ、明治大学商学部へ入学するや、現役で、難関の公認会計士試験に合格しました。 

 合格したとき、「受験勉強、たいへんだったんじゃないですか」というマスコミの質問に次のように答え、話題になったものです。 

「我喜屋監督の練習よりは楽でした」 

 日曜友の会(沖縄県内の中小企業経営者たちの勉強会)の2024年忘年会で、国吉氏を講師に招いた講演会が開かれました。

タイトルは「興南高校野球部で学んだこと」。 

 講演内容を要約してみました。 

 

 私(国吉大陸氏)が高校1、2年生のとき、興南高校野球部はすでに、県内ではナンバー1のチームだった。それだけ練習をしてきた自負もあった。 

 しかし、甲子園へ行くと、早々と敗退した。自分たちは弱い、と思った。努力しただけでは足りないものがある、と痛感した。 

 チームメイトで、自分たちの敗北感について話し合い、明確な目標が自分たちにないことに気づいた。

では、自分たちの目標とは何か。それは「甲子園で優勝すること」だった。 

その瞬間(2年生の秋)から、逆算が始まった。野球部生活が終わってしまうまで、1年もないのだ。

できることからやろう、ではなく、端から端までやろう、と決めた。我喜屋監督に指導を仰いだ。 

 例えば、グラウンドを10周走るにしても、ただ走っただけでは体力がつくにすぎない。試合では、たいして役に立たない。 

 だから、守備を意識して走る(どこに球が来るか分からない)。走塁を意識して走る(守備の状況を見極めながら走塁)。

それぞれが課題を持ってグラウンドを走るようになった。だから、10周では足りないときもあった。 

 そのように端から端まで練習をし、気がづかないところを気づくように努力して、春、夏の大会を迎えた。 

 いま思えば、予習とか練習とかいう言葉があるが、「準備」という言葉の方がふさわしいと思う。

「準備力」を心身に積み重ねていくことが、目標への近道だったのだ。そういえば、我喜屋監督は言っていた。

「甲子園の優勝チームは、開会式に決まっている」と。 

 しかし、振り返って思うことがある。優勝する条件は、そのように積み上げてきた「準備力」が5割だ。後の5割は「運」だ。

だから、野球は面白い。仕事も人生も面白いのだと思う。 

 

■我喜屋監督の至言 

 講演の後半で、国吉氏は、我喜屋監督の言葉で、特に印象に残っている言葉を紹介してくれました。 


〇うまくいったときの自分は敵だ。 

(うまくいくことで、試されているのだ) 

〇小さなことに気付けることでリーダーシップを執ることができる。 

(リーダーには気づきの能力が問われる。小さなところに配慮してくれる人材を見逃さないことがリーダーには問われる) 

〇全力の中でしかコツはつかめない。 

(コツをつかんでいる人、コツをつかめる人を「センスがよい人」という。そのコツは、全力の中でしか体得できない) 

〇ヒットを打ったら、2塁を目指す。 

(シングルヒットだと勝手に予想して1塁ベースを走り抜けてしまう選手がいるが、とんでもないことだ。

ヒットを打ったら2塁を目指し、ダメだと判断したら1塁ベースへヘッドスライディングしてセーフを獲得する。

それが、シングルヒットのあるべき姿。相手の守備エラーの確率はゼロではない) 

〇他人の言葉は他人の言葉。 

(自分のやるべきこと、コントロールできることを淡々とやる。他人の言葉は自分の言葉ではない) 

〇ディスポート。 

 スポーツの語源で、港(ポート)から離れる(ディス)という意味だ。準備を万端にし、未知の世界へ挑む。その精神が「ディスポート精神」だ。

コンフォート(居心地のよい安楽な環境)にとどまらず、挑戦していかなくては。そのためにも、「準備力」が肝要だ。 

 

 講演が終了するや、会場から、参加者の手が上りました。 

「国吉先生は、高校の3年間、ずっとオール5だったと聞きました。塾へ行く時間もないのに、どうして、そんな良い成績がとれたのですか」 

すると、国吉氏は、こう答えました。 

「新しい教科書をもらったら、とにかく一度、最後まで読みました。それは、授業の合間などにもできました。すると、授業が『復習』なりました。

分からないところがあれば、授業が終わり次第、その先生のところへ行き、分かるようにしました。それだけです。やはり、『準備』が大切だと思います」

 

 皆さん。小中学生だった頃、塾などに通わず、勉強をしているように見えないのに、成績がバツグンだったクラスメートがいませんでしたか? 

 おそらくその子は、教科書だけは読み込んでおいて、授業を復習にしていたのでしょう。

だからこそ、授業中に重要なところ、試験に出そうなポイントをつかんでいたのかも。