事務所通信

当事務所では、月に1回事務所通信を発行しています。

2021年5月号(321号)

島津日新公の「いろは歌」  

                                所長・税理士 今林重夫

     

南さつま市発行の「歌集」より

~略伝~

 日新公は、明応元年(1492年)923日伊作亀丸城に生まれ、幼名を菊三郎といった。15歳のとき元服し忠良と名のり、亀丸城主となる。21歳のとき相州家をも継ぎ田布施に移る。伊作・田布施の両城主になり三郎左衛門慰忠良と称し、36歳のときには髪をそり入道日新斎と称する。その後島津実久(出水)の軍と戦い、ついに天文8年(1539年)11日別府城を攻略し、実久を出水に追放した。公は神・儒・仏の三経を極め、文武の道に達し、政治・経済・文化の各面に善政をしいた。このいろは歌は、日新公の54歳までの作で、家老春成久正が京都へ持参し、当時の高官前関白近衛稙家が感服絶賛し跋文を書き、この道の権威者花本家宗養法師の一首ごとの評を得ている。人間地して社会に生きる道・人の上に立つ者の心得を説いたもので四百余年以来、子弟教育の教典となった。


   いにしえの道を聞きても唱えても わが行ひにせずばかひなし

  (語義)いにしえの道=昔の聖賢の教え。かひなし=役に立たない。

  (大義)昔からの立派な教えをいくら聞いてもまたいくら口先で唱えても、

            自分で実行しなければ何の役にも立たない。


  無勢とて敵を侮ることなかれ 多勢を見ても恐れるべからず

  (語義)無勢(ぶぜい)=兵の数が少ないこと。

  (大義)少数の敵だからといって、侮ってはならない。

      また多数の敵だからといって、これを恐れてはならない。


  少しきを足れりとも知れ満ちぬれば 月もほどなき十六夜のそら

  (語義)少しきを=十分でない。 

            十六夜(いざよい)のそら=十六日の夜に出る月が少し欠けることをいったもの

  (大意)まだ少し足りなくても満足するがよい。月も満月になれば翌日からは

        十六夜の月となって欠け始める。


  聞くことも又見ることも心がら 皆まよひなりみな悟りなり

  (語義)心がら=考えよう・心の持ちよう

  (大意)我々がかねて聞いたり、見たりすることも、自分の心の持ちようで

       皆、迷いともなり、悟りともなる

     (心に曇りがあると、真相を見ることはむつかしい)