秋田の歴史01-06

石川理紀之助

石川理紀之助は明治から大正初期にかけて農村の救済と農業振興にその生涯を捧げ、 明治の聖農と称されています。秋田種苗交換会を創設しました。
写真は晩年を過ごした庵ですが、毎朝午前3時に打って、貧村民に早起きして働けと教え続けていた 板木が見えます。「寝て居て人を起こすことなかれ。」を生涯の信念としました。

「板木のひびき」川上富三(川上富三)
「ゆめのあとを読む」川上富三(川上富三)
「石川理紀之助の生涯」田中紀子(批評社)

平田篤胤

平田篤胤の墓は手形山にあります。衣冠束帯の姿で正座し、伊勢神宮に面して 葬られているそうです。荷田春満・賀茂真淵・本居宣長と共に国学四大人とされています。

「平田篤胤と秋田乃門人」桐原善雄(文芸社)
「霊の真柱」平田篤胤(岩波文庫)
「平田篤胤」田原嗣郎(吉川弘文館)
「平田篤胤」渡部由輝(無明舎出版)
「平田篤胤の神界フィールドワーク」鎌田東二(作品社)
「魂のゆくえ 再生記聞」梁瀬 均(秋田魁新報社)

秋田城跡

秋田城跡
秋田城は奈良時代から平安時代にわたっておかれた、日本最北端の大規模な役所で政治、軍事、文化の中心地でした。 天平5年(733)に、秋田村高清水岡に造られた当初は「出羽柵」と呼ばれ、 やがて天平宝字4年(760)年ころ「秋田城」と呼ばれるようになりました。 元慶2年(878)には、住民が秋田城を襲い、天慶2年(939)にも官舎などが焼き払われました(元慶・天慶の乱)。 朝廷側の苛酷な悪政に対する征服された住民の反乱だと言われています。

「元慶の乱・私記」田牧久穂(無明舎出版)
「古代出羽国守 田邊史難波」高橋 昇(無明舎出版)
「新古代東北史」新野直吉(歴史春秋社)
「ジュニア版・古代東北史」新野直吉(文献出版)
「古代蝦夷を考える」高橋富雄(吉川弘文館)
「みちのく古代・蝦夷の世界」(山川出版社)
「秋田城跡」伊藤武士(同成社)

菅江真澄

菅江真澄
三河国に生まれた真澄は故郷を旅立ち、天明4年(1784)に秋田に入り、以後秋田藩内はもとより、東北・北海道を巡り歩きました。 約100種200冊を数える紀行文・地誌があります。 佐竹義和・義厚の委嘱を受けて編集した菅江真澄遊覧記は国指定文化財です。 秋田をこよなく愛した真澄は、結局一度も故郷に帰ることなく、文政12年(1829)に角館の神明社で76歳の生涯を閉じました。 遺言によって友人の秋田寺内の田村神社の神主・鎌田正家の墓域に葬られました。弟子の鳥屋長秋の墨跡で市指定史跡です。

「菅江真澄遊覧記1~5」内田武志・宮本常一(平凡社)
「菅江真澄の旅と日記」内田武志(未来社)
「菅江真澄 旅人たちの歴史2」宮本常一(未来社)
「辺境を歩いた人々」宮本常一(河出書房新社)
「菅江真澄と西行伝承」小堀光夫(岩田書院)
「菅江真澄と小町伝承」小堀光夫(岩田書院)
「菅江真澄と伝承文学」小堀光夫(岩田書院)
「菅江真澄 民俗語彙」稲 雄次(岩田書院)
「菅江真澄事典」稲 雄次(無明舎出版)
「菅江真澄 民俗図絵 上・中・下巻」(岩崎美術社)
「菅江真澄図絵集 秋田の風景」田口昌樹(無明舎出版)
「菅江真澄読本1~5」田口昌樹(無明舎出版)
「菅江真澄と秋田」百五十年祭実行委員会(加賀谷書店)
「菅江真澄」菊池勇夫(吉川弘文館)
「菅江真澄」柳田国男(創元社)
「菅江真澄の道 前編・後編」福岡龍太郎(秋北新聞社)
「菅江真澄の見た仙台」細川純子(仙台・江戸学叢書58)
「菅江真澄が見た日本」石井正己(三弥井書店)
「柳田国男の見た菅江真澄」石井正己(三弥井民俗選書)
「菅江真澄と内田武志」石井正己(勉誠出版)
「菅江真澄 図絵の旅」石井正己(角川ソフィア文庫)
「探究の人 菅江真澄」菊池勇夫(無明舎出版)
「日本の旅人 菅江真澄」秋元松代(淡交社)
「菅江真澄と歩く」逆木 一(FAN AKITA)
「菅江真澄の旅 森吉山麓ガイドマップ」(森吉山ダム工事事務所)
「菅江真澄と百千鳥」神山眞浦(無明舎出版)
「天明の密偵」中津文彦(文藝春秋)
「菅江真澄と旅する」安水稔和(平凡社新書)
「菅江真澄 津樂隠れ里紀行」菊地正浩(ものの芽双書)
「菅江真澄、旅のまなざし」秋田県立博物館(塚田美術印刷)
「菅江真澄、記憶のかたち」秋田県立博物館(塚田美術印刷)
「菅江真澄のことども」菅江真澄研究会
「真澄の今、ゆかりの地からの発信」菅江真澄研究会
「創立三十周年記念号」菅江真澄研究会
「創立四十周年記念誌」菅江真澄研究会
「菅江真澄と鹿角」鹿角菅江真澄研究会

白瀬矗

白瀬 矗
金浦町生まれ。
1910年(明治43)隊員27名と東京芝浦港を木製帆船開南丸で出航。
1912年(明治45年)1月28日、日本人で初めて南緯80度05分に到達し、一帯を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名。
6月20日58,000キロの航海を一人の死傷者を出さないで芝浦に帰港。白瀬南極探検隊記念館は黒川紀章氏の設計である。

「雪原に挑む白瀬中尉」渡部誠一郎(秋田魁新報社)
「私の南極探検記」白瀬矗(日本図書センター)

栗田定之丞

栗田定之丞
今から200年ほど昔、新屋村では、冬の北風で家や田畑が埋もれ村が亡ぶのではないかと思われるほどだった。
江戸時代の終わり近く、藩の命令を受け新屋や能代の海岸に村人達と力を合わせて300万本といわれる防砂林を作られた。
1827年(文政10年)に亡くなると、新屋の人達は、神社(栗田神社)を作って感謝の気持ちを捧げた。(栗田君遺愛碑沿革より)

「緑の衝立」柴田芳隆(文藝書房)

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