能登山伝説
男鹿椿港に南国から来る船乗りと地元の娘が恋仲になった。来年に戻って来るときに、お土産にツバキの実とツバキ油を持ってくると二人は約束した。娘は毎日、能登山に登って待っていたが、3年経っても若者は来なかった。娘は悲観して、能登山から海に身を投げた。娘と一緒になるために一生懸命働いた若者が、4年目に戻って来ると娘はいなかった。若者は能登山にツバキの実を植えて、二度と港に来なかった。能登山は一面ヤブツバキで蔽われ、港はいつしか椿港と言われるようになった。大正11年、「つばき自生北限地帯」として国の天然記念物に指定された。
佐太子沼
「さるこ沼哀歌」佐藤三治郎(無明舎出版)
院内銀山異人館
最盛期には産出量日本一だった院内銀山の史料館。平成元年にドイツ人鉱山技術者の住居をイメージして作られた。院内駅も兼ねている。院内銀山や岩井堂洞窟の資料がある。
「銀山と関所の町 院内」歴史観光ガイドブック
「養安先生、呼ばれ!」西木正明(恒文社)
了翁禅師
「湯沢の生んだ名僧 了翁さま」田口大師(無明舎出版)
「名僧了翁さん」了翁禅師研究会(イズミヤ出版)
能恵姫
「龍女の珠 能恵姫物語の宇宙」石橋健朗(イズミヤ出版)
赤滝神社
岩崎城の岩崎道高の娘、能恵姫は、増田城主土井氏の媒介で、川連城の小野寺道基に嫁ぐことになった。輿入れの日、晴天だった空が俄に曇り、大嵐になり、姫の籠が消えた。幾日かして、家来の智学が山刀を皆瀬川に落とし、拾おうと水底に潜ると、岩屋があり能恵姫がいた。智学に形見として櫛と笄を渡し、水神社と龍泉寺を建立して欲しいと願った。その後、岩崎の盛淵が鉱山の毒水が流れてきたので、東成瀬の赤滝に移り住み村人は赤滝神社を建て、雨乞いの神として祀っている。
現在、この地域に成瀬ダムが建設されている。この赤滝・赤滝神社と見慣れた看板は、ダムに沈んでしまうのだろうか。
「この清流を守りたい 秋田・成瀬ダムは必要ですか?」樋渡誠(花伝社)