万体仏
男鹿市北浦にあるお堂。
お堂の中に、杉の木彫りの地蔵が約1万3千体並んでいる。
菅江真澄の「男鹿の春風」に、1714年に僧・普明が木端仏(こばほとけ)を刻んだと書いてある。
夫殿大権現
三湖物語(八郎太郎伝説の地)
永遠の棲所を求め、米代川を下って天瀬川に着いた八郎太郎は、長者の家に一夜の宿を請い、一番鶏が鳴くと同時に八郎潟をつくった。
姥御前神社
三湖物語(八郎太郎伝説の地)
対岸の天瀬川に着いた八郎太郎は翌朝、一番鶏が鳴くと同時に永遠の棲所、八郎潟をつくったが、そのとき一夜のお世話になった、長老の老夫婦が水難にあった。
長者の媼は八郎太郎によって、ここ芦崎の地に救い上げられ、のち姥御前として祀られた。 土地の人達は最近まで鶏や卵を食べなかったという。翁は対岸の三倉鼻に祀られている。
御前柳神社
高岳山に登った時に知った、三浦氏の悲話です。
「秋田軍記 湊騒動」北嶋雄一(浦城の歴史を伝える会)
小池板碑群
大河次郎兼任
藤原泰衡の家来で平泉滅亡後、鎌倉幕府に対して7000人の勢力で反乱を起こした。多賀城を目指して凍結の八郎潟を進軍中に、氷が割れ5000人を失う。平泉に着いた時は1万人になったが、千葉常胤・比企能員に敗れ、栗原で斬殺される。主君の敵討ちの元祖と言われている。五城目大川にある石崎遺跡は、大河次郎兼任の居館だったという説がある。
「大河次郎兼任の時代」小野一二(無明舎出版)
「源頼朝に挑んだ秋田人 大河兼任」佐藤晃之輔(秋田文化出版)