秋田の歴史90-95

矢田津世子

矢田津世子

小説家。五城目町で生まれ。8歳で秋田市9歳で東京に移転し、その後五城目町に戻ることはなかった。
「想ひ出の町五城目町」の随筆で、故郷を書いている。
武田麟太郎・川端康成の指導により、「神楽坂」が芥川賞候補となる。
坂口安吾とは結婚を考えた一時期があり、また、林芙美子・壺井栄・宮本百合子・松田解子らとも交流があった
文壇随一の美女と言われながら、不治の病により、昭和19年に36歳で早逝する。 写真は五城館にある矢田津世子文学記念室。

「神楽坂、茶粥の記」(講談社文芸文庫)

上原 敏

上原 敏

上原敏は明治41年大館市で生まれ、流行歌手として「妻恋道中」「裏町人生」などヒットを重ね、時代を代表する歌手となる。本名は松本力治、芸名は上原謙と上田敏をもじった。東海林太郎と同じポリドールに所属し、ポスト東海林太郎と言われた。専修大学商学部時代は、野球部の主将(投手)を務め、東京五大学リーグ戦優勝に貢献した。ニューギニア戦線で昭和19年戦死、享年37歳。 写真は桂城公園にある顕彰碑(大館市)

「密林の絶唱 上原敏」伊多波英夫(秋田魁新報)

康楽館

康楽館

小坂鉱山の福利厚生施設として、明治43年に完成した木造の芝居小屋。国重要文化財。現存する日本最古の芝居小屋である。小坂町の明治百年通りにある。

「康楽館 公式ガイドブック」秋田文化出版

小坂鉱山事務所

小坂鉱山事務所

小坂鉱山の事務所として、明治38年に完成した明治期の典型的なルネッサンス調洋風建築物。小坂鉱山は明治・大正期に日本三大銅山と言われた。 官営から藤田組(現在のDOWAホールディングス)に払い下げされて、黒鉱を発見し繁栄に至った。国重要文化財。小坂町の明治百年通りにある。

「小坂鉱山事務所 公式ガイドブック」秋田文化出版

小坂鉱山病院

小坂鉱山病院

小坂鉱山の医療施設であったが、本館が焼失。当時は東北では、東北帝国大学付属医院に次ぐ規模であった。現在は、旧霊安室が記念棟として保存されている。国登録有形文化財。小坂町の明治百年通りにある。

「小坂鉱山事務所 公式ガイドブック」秋田文化出版

赤煉瓦倶楽部

赤煉瓦倶楽部

機械器具を製作する鍛冶製罐場に電気を供給する配電所であった。赤煉瓦と木の柱が組み合わされた作りで、富岡製糸場と同じ特徴を持つ。軽食やお土産が置いてある。小坂町の明治百年通りにある。

「小坂鉱山事務所 公式ガイドブック」秋田文化出版

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