納税者の権利保護に欠ける「事務運営指針」

   「税経新報」2018年3月・4月合併号に掲載

   国税の調査に関する規定が平成23年度改正により国税通則法第74条の2「当該職員の所得税等に関する調査に係る質問検査権」に新設された。これに伴い調査手続に関して「事務運営指針」が定められ、税務署内の事務手続が増加したことにより税務調査は減少している。この指針では「適正な調査の遂行を図る」と明記しているが、事前通知の手続をはじめ調査の実態は改善されていない。そこで、最近の任意調査の実態を事例から紹介する。なお、改善されない主たる原因は日本に納税者の権利保護規定がないことである。納税者には税務署の強引な調査(特に任意調査)に対抗する法的手段がないことと同様である。従って、調査の対応は税理士個人の能力(知識・経験等)に左右されることが多く、納税者の権利保護には不十分である。また、調査終了時などに「質問応答記録書」を提示された場合の対応などにも納税者の権利保護規定が必要である。

Ⅰ「税務運営方針」と「事務運営指針」
 国税通則法改正後、平成24年9月12日付の国税庁長官「調査手続の実施に当たっての基本的な考え方等について(事務運営指針)」が公表された。この指針は具体的な調査手続(特に事務手続)が中心であり、昭和51年4月1日付の国税庁「税務運営方針」(納税者に対する調査のあり方など重要な方針)とは実質的に異なる。名称や目的が類似しても事務運営指針は新規の規定であり税務運営方針の改訂版ではない。特に両者の重要な相違点は税務運営方針の重点と思われる任意調査における納税者への視点(配慮)等が次のように事務運営指針には欠如している。
 まず、両者の相違点を少し紹介する。
A.「税務運営方針」(昭和51年4月1日付)(3項目のみを掲載)について
総論「税務運営の基本的な考え方」では「税務行政の使命は、税法を適正に執行し租税収入を円滑に確保することにあるが、(自主)申告納税制度の下における税務行政運営の課題は、納税者のすべてが租税の意義を認識し、適正な申告と納税を行うことにより、自主的に納税義務を遂行するようにすることである。」(下線部分は重要と思われるので私が追加)
①「納税者に対する応接」では「納税者に来署を求めたり、資料を求めたりする場合においても、できるだけ納税者に迷惑を掛けないように注意する。」
②「調査の重点化」では「調査の件数、増差割合等にとらわれることなく、納税者の実態に応じた調査日数を配分するなど、機動的、弾力的業務管理を行うよう留意する。」
③「調査方法等の改善」では「一般の調査においては、事前通知の励行に努め、また現況調査は必要最小限度にとどめ、反面調査は客観的にみてやむを得ないと認められる場合に限って行うこととする。なお、納税者との接触に当たっては、納税者に当局の考え方を的確に伝達し、無用の心理的負担を掛けないようにする」
B.「事務運営指針」(平成24年9月12日付)(1項目のみ掲載)
趣旨「調査手続の実施に当たっての基本的な考え方等について」では「法令を遵守した適正な調査の遂行を図るため、調査手続の実施に当たっての基本的な考え方等を定めるものである。」(考え方については次の1項目のみで、他は事務手続なので省略)
① 「基本的な考え方」では「調査の実施に当たっては、今般の法改正の趣旨を踏まえ、『納税者の自発的な納税義務の履行を適正かつ円滑に実現する』との国税庁の使命を適切に実施する観点から・・・法令に定められた調査手続を遵守し、適正かつ公平な課税の実現を図るよう努める。」
 以上のように、「事務運営指針」には納税者への配慮(調査日数・心理的負担の配慮など)や調査官の成果主義(件数・税額等)への留意(注意)などが記載されていない。従って、「事務運営指針」だけでは納税者にとって適正な調査は実施できず、今後も「税務運営方針」の考え方は重要な方針である。
 また、私は現況調査日の最初に「税務運営方針」を基に任意調査のあり方を説明する。そして、調査官の反応により税務署(国税局)や担当調査官の方針などが推測できるが、大半の調査官は反論も賛同もなく我慢して聞いている。
 
Ⅱ 最近の実例から調査開始までの状況(要点のみ)
 まず、調査対象は建設業の法人(社員数名、売上数億円以下)、従来から特に問題点はないが、法人設立後長期間(約10年以上)調査なし。
担当調査官は事務官1名(入署3年目)の予定が、下記のように私と電話での事前通知の確認中に上席調査官1名追加で2名に変更となる。
1.事前通知(国税通則法第74条の9)における調査官(事務官)の対応
① 日程調整について、事務官は当初2日間を要求したが、私は2日間の根拠はなく1日を決定し、1日調査後、必要があれば必要な範囲で検討すると回答し1日のみ決定。
② その他の事前通知について、事務官は日程以外を言わず連絡を終わろうとしたので、私が事前通知はそれで全てかと強く確認すると、対象税目・対象期間・対象書類だけを言った。それ以上は分からない様子なので、上司に聞いて連絡するように督促した。
その後すぐ電話あり、調査場所・日程等の変更協議可能・通知事項以外に非違の疑いがあれば質問検査の継続可能、を告げて終わろうとした。そこで、私が担当調査官は何人かと聞くと事務官一名と回答した。さらに、他に重要な項目が抜けていると指摘して、「調査の目的」は何かと聞くと意味が解らないようなので上司に聞いて再度連絡することを強調した。
再度電話あり、回答は「所得の確認」だけ、これは予想通りである。なぜなら通則法改正後、調査目的の回答は99%「所得の確認」である。従って、常に抽象的で無意味な回答に統一しているのでは?と思われる。そして、事務官は予想外に「調査は上席と2名で実施します」と、私の質問が原因なのか理由を言わず変更を告げた。私は納税者の立場からも調査を簡潔に済ませたいので、上席同席の方が複雑事案でも迅速に判断できると思われ反論しなかった。
そこで、私は事務官に「所得の確認」について、所得の確認なら全ての法人に調査しているのか?法人の実地調査率は最近5%未満だから、今回の調査も必ず何か理由があるはず、と追求。ここで通常は回答を拒むが、今回は「理由はあります」と回答したので、理由は何かと聞くと「それは言えません」と正直に答えた。私はこれ以上の回答は経験上無理と思い、当日の現況調査前に必ず確認することを伝えた。調査前に確認する理由は経験上、調査の終了直前、不意に「実はこんな資料がある」と出して、それまでの調査が時間の無駄(調査官には確認業務?)になることが数回あったから。
2.現況調査初日の対応(調査が始まる前に調査官に必ず説明すること)
① 「税務運営方針」説明の前提として、調査官がまず納税者に説明すべき「調査の必要性」について、次の一部を読みながら簡単に説明する。(国税通則法改正前から常に説明)
国税通則法第74条の2は「所得税、法人税、・・・に関する調査について、必要があるときは、・・・質問し・・・検査し・・・提示若しくは提出を求めることができる。」と規定している。つまり、自主申告納税制度においては(戦前の賦課課税ではないので)調査を実施するには、その必要性を納税者に説明する義務がある。なぜなら、自主的な申告及び納税により租税債務は確定しているので、疑問(調査の必要性)があれば納税者に理由を説明することは当然である。
しかも、調査拒否等をした場合には国税通則法第127条により罰則(1年以下の懲役又は50万円以下の罰金)がある。つまり、罰則を科してまでの重要な調査なので具体的な理由は当然に必要である。従って、任意調査とはいえ間接強制調査ともいえるが、逆に正当な理由(必要性)がなければ拒否できる、ともいえる。
なお、以上の質問検査権や罰則の規定は改正前(旧法人税法第153条他)に同様の規定があった。つまり、自主申告納税制度においては「調査の必要性」の説明は当然である。
 また、日本には民主的国家において当然規定されるべき「納税者権利保護法」が制定されていない。従って、納税者が主張すべき具体的な権利も明記されず、つまり主張すべき権利が無視され続けていることが重大な問題である。
②  次に、「税務運営方針」から税務調査について簡単に説明する。
 「税務調査はその公益的必要性と納税者の私的利益の保護との衡量において、社会通念上相当と認められる範囲内で、納税者の理解と協力を得て行うものである。」
③ そして、上記「税務運営方針」の「調査方法等の改善」部分を説明する。
 以上から、本来重視すべき「税務運営方針」は国税通則法改正の以前から調査官が知らない(研修に含まない?)ことが多く、調査官の大半は私の主張を聞いているだけである。そのような状況で「事務運営指針」の新設により「税務運営方針」が過去の遺産のようになる恐れもあるが、私は今後も積極的に活用するつもりである。

Ⅲ 納税者の権利保護法の必要性
1.「世界の納税者権利保護の状況」(別表1)
 「質問応答記録書」など調査終了時の対応を含めて、調査全体に対して納税者の権利保護法が必要である。(別表1)を見ると、先進諸国で日本だけが納税者に対する権利保護が著しく遅れている。そして、説明では「2010年のOECDの調査報告書によれば、OECD加盟34ヵ国・非加盟国15ヵ国の計49ヵ国のうち36ヶ国が、行政文書の形式により納税者権利憲章を制定しています。」と補足があり、既に多くの国が制定して国際的に広がっている。なお、この資料はTCフォーラム(納税者権利憲章をつくる会)の作成である。
(別表1)の項目については全て重要であるが、私たちが税務調査時に常に要望している次の項目は実務上で特に重要である。従って、次のように国税通則法の一部を改定、又は「事務運営指針」を変更すべきである。
*「文書による税務調査の事前通知がある」
第74条の9(納税義務者に対する調査の事前通知等)第1項に次のように追加すべきである。「通知するものとする」⇒「文書により通知するものとする」又、「事務運営指針」の「事前通知の実施」には「通知事項が正確に伝わるよう分かりやすく丁寧な通知を行うよう努める」と詳しく明記している。従って、この趣旨に最適な方法は文書通知なので当然追加すべきである。
*「調査終了後の修正申告の慫慂を行わない」
第74条の11(調査の終了の際の手続)第3項の「修正申告又は期限後申告を勧奨することができる」の「修正申告」を抹消すべきである。
なお、「事務運営指針」には国税通則法の解説のような詳しい説明文「修正申告等の勧奨」がある。従って、その「修正申告」部分を抹消する。
*「納税者の承諾がなければ反面調査を行わない」(国税通則法に関連規定なしと思われる)
 「事務運営指針」の「反面調査の実施」には「その必要性と反面調査先への事前連絡の適否を十分検討する」、また(注)として「反面調査である旨を取引先等に明示した上で実施することに留意する」とある。従って、このような配慮の必要性があるなら、当然納税者に事前承諾を求めるべきであり、その旨を追加すべきである。
*「質問応答記録書を強制しない」(質問応答記録書は別表2)
「質問応答記録書」については国税通則法・「事務運営指針」とも関連規定はないと思われる。しかし、調査の実態ではこの記録書(以下、「質問応答記録書」を記録書と表示することがある)を安易に作成し、しかもその意味や重要性を説明せずに署名を求めるという重大な欠陥がある。従って、国税通則法又は「事務運営指針」に納税者の権利保護の観点から「質問応答記録書を強制しない」と明記すべきである。
2.「質問応答記録書」(別表2)
 上記(別表1)(注)のように、この記録書は警察・検察等の「供述調書等」を参考に作成されたものであり「犯罪」の取り調べと同じ手法であると解説している。従って、税務調査(強制調査も)において「質問応答記録書」は納税者を犯罪者扱いとするもので絶対に許されない。
 なお私も経験があり、現況調査の終了直前、納税者に何の説明もせず、突然「今から質問応答記録書を作成するので署名をしてほしい」と納税者に告げた。そこで、私は即座にこの記録書は刑事事件の自白調書と同様、安易に署名すると後で訂正や変更はできないこと、また税務調査において納税者を犯罪人のように扱うことは顧問税理士として認められない、と強く調査官に抗議するとともに納税者に説明した。すぐに納税者は税理士の指示通りにすると答えた。なお、「質問応答記録書」には(別表2)の通り『上記の回答者から、任意に次のとおり回答を得た。』と当初から記載されており、強制ではなく自発的回答ゆえ変更等は困難と思われる。
 その現況調査の約1ヵ月後、事務手続終了時に調査官と電話での最終打ち合わせで調査官が「質問応答記録書」は作成しないと発言した。そこで、私は署内部では作成するのでは?と聞くと正直に作成予定と回答した。
 但し、このような署名無しの「質問応答記録書」は本来の証拠能力はないと考えるが、作成することで調査官の成績に関係する?しかし、記録書(署名無し)に基づき加算税(過少又は重)を判断するのであれば、特に重加算税の賦課決定処分をした場合は仮装など形式だけの誤った判断をする可能性が高い。なぜなら、税務署員の話では賦課決定処分の判断は形式基準によると説明があった。従って、不服申立てを検討する必要性が十分ある。
 最後に、修正申告する場合における不服申立てについて簡単に記載する。国税通則法第74条の11第3項により交付される「修正申告等について」の文書には、修正申告をした場合には不服申立てはできないが、過少(無)申告加算税又は重加算税の賦課決定処分については不服申立てすることができる。また、一定の期間内においては更正の請求をすることができる、と明記されている。
つまり、修正内容の原因(過失の程度等)により賦課決定処分(特に重加算税)の妥当性を検討して不服申立てができる。
 以上のように、日本には先進諸国をはじめ多くの国々が制定している納税者の権利保護規定がなく、しかも税務調査においては国税当局の都合が良い規定(国税通則法や事務運営指針など)が制定されている。特に(別表1)の4項目については、今後も税務署との争いが絶えないはずである。従って、納税者の権利保護のため当然規定されるべき「納税者権利憲章」などを早急に制定することを要求していく必要がある。 

                         (  高橋 逸 )

税理士法人 高橋会計事務所

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